努力の末に得た開幕スタメン背番号10。澤氏と同じ茨の道を歩む女子学生の苦労と栄光。

 2015年、惜しまれつつもサッカー界からの引退を表明した日本女子サッカー界のレジェンド、澤穂希氏。女子サッカーとは無縁だった日本を世界一へと導き、その歴史に大きく名を刻んだ日本が誇る世界的なレジェンドだ。そんな澤氏が世界一までの道として選択したのが、不動の女子サッカー大国であるアメリカだった。言葉の壁に苦しみ、競争率の高い環境に揉まれ、挫けそうになりながらも、自身の成長に妥協を許さないその強靭なメンタルと共にに這いつくばり、最終的に得た世界一の座。幸いにも、女子サッカーの環境が整いはじめた現在の日本には、澤氏のように、あえて茨の道をゆく若者はほとんどいない。だが、そんな数少ない挑戦者の中にも、澤氏のように不屈の精神を持ち、大きな夢に向かって同じく茨の道をゆく者が、ここアメリカにいる。澤氏に引けを取らない彼女が歩んできた茨の道に迫る。

中学時にはナショナルトレセンを経験。その才能は早くから開花。

 黒崎優香(くろさき ゆうか)福岡県北九州市出身の20歳(2017年9月現在)。4歳のときに兄の影響でサッカーに触れ、中学ではニューウェーブ北九州レディースに所属。同時期には、福岡県選抜や九州選抜、そしてナショナルトレセン(日本代表の一歩手前)にそれぞれ選出され、その才能は早くから開花された。中学卒業後は、生まれ育った福岡を離れ、単身、サッカー王国静岡の門をたたいた。

 

「高校では、更にレベルの高い環境で自分を磨きたいと考え、各チームへの練習参加を通して進学先を絞りました。その中でも、個人的にパスサッカーに魅力を感じていたこともあり、その代名詞とも言える藤枝順心高校への進学を強く希望するようになりました。決して楽な決断ではありませんでしたが、親の理解もあり、進学を実現させることができました。」

 

更なるスキルアップを目指し、女子サッカーの名門校、藤枝順心高校に進学した。

日本代表に初選出。海外への道を切り開く。

 彼女の能力はここ静岡でも向上の一途をたどる。第24回全日本高等学校女子サッカー選手権大会では、1年生ながら、決勝戦までの全5試合に出場。準決勝となった宮城の常盤木学園戦では、1点ビハインドの後半78分から出場し、ロスタイムに劇的となる同点打を記録。大逆転となるPK戦での勝利に大きく貢献した。また2013年には、16歳以下の世代別日本代表にも選出され、コスタリカ遠征を経験。高倉麻子監督(現女子サッカー日本代表監督)のもと、アメリカ代表やメキシコ代表といった強豪国相手に、堂々の勝利を収めた。無敗で終えたコスタリカ遠征は、世界基準での自身のレベルを確認する上で絶好の機会となった。同時に、高校卒業後のアメリカ留学を決意する、一番のきっかけともなった。

 

「 高校まではサッカー漬けの日々を送っていました。しかし、ふと将来のことを考えたときに、サッカーだけでは自分のためにならないと感じました。同時に、自分の人間としての幅や知識を広げたいという想いも強くあり、そうしているうちに、自然と海外を意識するようになりました。様々な国がある中でも、特にアメリカは文武両道を重んじる国であり、勉強も必死に取り組まなければ、サッカーができなくなります。そういった厳しい環境で、人としても成長したいと思ったので、アメリカに行くことを決めました。」 

 

長期的なビジョンで将来を考えたとき、彼女の中に迷いはなかった。進路はアメリカ一本に絞られた。

文武両道による人材育成を掲げる全米体育協会

 高校卒業後のアメリカ留学を実現させるにあたり、まずはアメリカの大学システムに詳しい知人を片っ端からあたり、情報収集に励んだ。アメリカの大学には、世界各国から生徒が進学してくる。そのほとんどが求めるものは、共通して“奨学金”にある。日本とは異なり、アメリカの大学で言われる奨学金は、返済義務がない。すなわち、スポーツや勉学において、優秀な成績を残すことが期待される学生は、大学経費の一部、もしくは全額が免除の対象となる奨学金を受領できる。将来が有望視される世界各国の高校生アスリートは、大学時代は、奨学金を獲得して世界最高峰の教育/スポーツを誇るアメリカに身を置き、その後のアスリート生活、そしてセカンドキャリアの充実に向けた準備に勤しむ。スポーツを通してのブランド価値向上に精を尽くす大学側としても、将来のタレント発掘に向け、必要があれば世界各国を飛び回り、リクルート活動を行う。アメリカにはいない人材を諸外国からリクルートし、彼らに奨学金を与えて、文武両道の生活に従事させる。スポーツを通しての人材育成に尽力するアメリカの学術機関では、これが王道となる。

競争社会アメリカの実態。簡単にいかないフルスカラシップの獲得。

 彼女の場合も、奨学金の獲得を目指し、まずは自身のプレー動画を大学に送付した。彼女の能力の高さと、知人のネットワークの広さもあり、全額免除の奨学金(フルスカラシップ)が用意できるという大学は、直ぐに見つかった。数にして、片手では収まらないほどの大学が彼女に高い興味を示した。できるだけレベルの高い環境でのプレーを希望していた彼女なだけに、中でもサッカーの実力がトップクラスの大学を選定し、高校3年の夏に大学訪問を実施した。訪問先は、当時、NCAA(全米体育協会)1部において、全米ランキングトップ20以内にランクインしていた、フロリダ州内の4年制大学。訪問時には、女子サッカー部の監督やアシスタントコーチなどと面会し、進学時の条件についての面談を行った。また面談後には、チームのホーム開幕戦にも招待され、本場のアメリカ大学サッカーを間近で観戦することもできた。さらに、試合前には、チーム関係者のみ立ち入りが許されるロッカールームへの招待も受け、チームの雰囲気を肌で感じることができた。大学側の歓迎ムードに加え、彼女からも興奮を隠しきれない様子が伝わった。全ては順調に進むはずだった。だが、アメリカはそう甘くはない。この訪問を境に、大学側からの返信は一切なくなった。

 

「フロリダの大学に進学したい気持ちはありましたが、大学の*TOEFLスコアが80点と高かったため、あまり現実的でないと思っていたのが本音です。更に、当時は順心でキャプテンを務めていたこともあり、第一優先は順心、大学は二の次であったため、フロリダの大学への進学が途絶えたとの連絡を受けた時も、特に動揺することは無かったです。どうにかなると思ってました。」

 

 競争社会のアメリカでは、大きな予算となる奨学金枠を使ってよりよい選手をリクルートする以上、英語ができない選手

であれば、どれほどサッカーの技術に秀でていようとも、他の選手に枠を使う事も当然の結果と言える。残念ながら、また一から大学探しをすることとなった。

 

*TOEFL・・・英語圏の大学へ進学する生徒を対象とした英語能力測定テスト

 

新たな大学から届いたオファー。進学先が遂に決定。

 高校も3年の10月が過ぎ、既にサッカー部の仲間の大半が進学先を固め、一息ついていた。フロリダの大学への道が途絶えた彼女にも、遂に新たな進学先の候補が見つかる。ケンタッキー州レキシントン市に位置するケンタッキー大学(NCAA1部に所属する州立4年制大学)だ。東京ドーム約62個分の敷地面積を誇るケンタッキー大学には、約30,000人の学生が在籍する。毎年NBAに選手を輩出している男子バスケットボール部は、全米でもトップクラスを誇る、大学の顔だ。彼女へのオファーが届いた女子サッカー部は、2015年当時、全米トップ50以内にランクインしており、上位を狙えるプログラムとして、国内外から人気を博していた。そんな大学から、フルスカラシップの話が届いた。10月の中旬であった。

 

「ケンタッキー大学からお話をいただいた時は、冬の選手権のことで頭がいっぱいだったこともあり、特にどういった感情が湧き出るということはありませんでした。とにかく英語を頑張らなければという思いに駆られていたのは覚えています。」

日本一のから世界一へ

 彼女の能力に惚れ込んだ大学側は、その実力を直接その目で確かめるべく、日本へ飛んだ。高校3年間の集大成となる、全日本高等学校女子サッカー選手権の視察に向かったのだ。彼女が所属する藤枝順心高校は、順当に地方予選を勝ち上がり、本選への出場を決めていた。3年生となった彼女はキャプテンに任命され、チームを牽引する存在へと成長していた。

 大会前の下馬評通り、藤枝順心は名門の名に恥じない戦いぶりで、確実に駒を進めた。そして迎えた決勝。相手は鹿児島県の神村学園。彼女の中では、様々な思いが混在していた。更なる高みを求めて単身静岡に渡った3年前。日本代表にも選出され、世界の舞台も経験した。その結果、アメリカという選択肢も生まれ、この上ない条件での米国大学への道も確保した。これまで自由にさせてくれた親には、計り知れないほどの感謝がある。アメリカへの道は、高校の先生やサッカー部の監督、コーチ、更にチームメートや知人の方々などの支援があったからこそ切り開かれたもの。すべての方に対する感謝の想いが募っていた。あとは結果を以って彼らに恩返しをするだけだった。長くもあり、短くもあった90分の戦いが終わった。藤枝順心高校は、3-2で神村学園を下し、見事、9年ぶり2度目の日本一に輝いた。

 

「日本一は高校3年間での目標でしたので、素直に嬉しかったです。一人一人がチームとして戦った結果だと思いますし、コーチ陣や家族、友人、そして今まで支えてくれた方々に、少し恩返しができたのではないかなと思いました。」

勉強漬けの日々がスタート。想像以上に苦労した語学学校生活。

 藤枝順心での高校生活に終止符が打たれてから2ヵ月が過ぎた。日本への別れを告げた彼女は、既にアメリカにいた。ケンタッキー大学への進学に向け、まずは大学付属の語学学校にて、語学力の向上に励む日々を送っていた。ケンタッキー大学への進学には、TOEFL 71以上を取得する必要がある。これを取得していない生徒は、まずは大学付属の語学学校にて、大学レベルの語学力に達するまで、勉強漬けの日々を迎えることとなる。彼女の場合もそうだった(実際、日本の高校で習う英語だけでは、高校卒業までにTOEFL 71を取得するのは至難の業と言える)。通常、大学付属の語学学校から大学に進学する方法は2通りある。一つにTOEFL 71を取得すること。もう一つに、語学学校の全プログラムを修了することだ。どちらか一方を達成すれば、大学への進学が実現する。また、フルスカラシップも適用され、経費は全て大学側がカバーすることとなる(語学学校に通学している間は、未だ大学に所属していないとして、奨学金は適用されない。つまり自費となる)。さらに、語学学校に在籍している以上、大学生としてはカウントされない為、女子サッカー部の練習にも参加できない。そのため、語学力の向上に加え、自身のにコンディション調整にも注力しなければならない。

 

 ケンタッキー大学の語学学校には、6段階のレベル(クラス)がある。生徒は、渡米後直ぐにレベル測定テスト(プレイスメントテスト)を受け、それぞれのレベルに見合ったクラスに振り分けられる。一つのクラスを修了するのにかかる期間は8週間。クラス終了時には、そのクラスのおさらいとなるテストを受け、見事、合格することができれば、次のレベルのクラスに進むことができる。また、次のレベルに進むためには、授業の出席率や課題の提出率、更に授業中の発言回数なども大きく関わってくる。テストを含むこれら全てのアテンダンス(出席率)で、一定以上を確保しなければ、次のレベルに進むことができない。つまり、ただ授業に参加しているだけでは不十分となる。どれだけエキストラワークをできるかが、進学のカギとなる(もちろんTOEFL71を取得するのが手っ取り早いが、そう簡単ではない。毎回の受講料も安くはない)。

 

「語学学校のときは、朝から夕方まで授業があったため、授業終了後に宿題をこなすというのが日課でした。課題が少ない日は早く終わりますが、多い日は、0時近くまでかかっていました。」

 

並々ならぬ努力の末、当初の予定通り、きっちり一年で語学学校を修了し、大学進学を実現させた、はずだった。。。

NCAAからの無理難題に加え大学側の手続きミス。進学の行方はいかに。

 語学学校を終え、NCAAのシーズン開幕が約1ヶ月に迫った7月下旬、事態は思わぬ方向に急変した。NCAAに加盟する大学でプレーする全ての学生は、事前にNCAAへの登録を済ませる必要がある。この登録は余裕を持って行う必要があり、彼女の場合もそうしていた。あとは、NCAA側から登録の認証メールが送られてくるのを待つのみだった。だが、一向になっても、そのメールは送られてこない。彼女と同じ時期に同じ工程をふみ登録の申込みを終えた学生は、既に認証メールを受領している。彼女の場合だけ、何かがおかしかった。案の定、後日NCAAから送られてきたメールでは、例外にも以下の点を要求された。

 

  • 高校の現代社会、そして社会と情報のテストのオリジナル(日本語)と英文を、校印付きで8月初旬までに、高校からNCAAに直送すること

 

 日は26日を迎えていた。この要求に応えるには、あまりにも時間が乏しい。なぜなら、夏休みを目前にし多忙を極める高校の迅速な対応が必須となる上に、その膨大な量の翻訳を行える人間を早急に見つけなければならなかったからだ。更にその翻訳にどれ程の時間がかかるかは不透明だった。それに加え、翻訳終了後には、その書面を高校に送り、校印を押したのちに、NCAAに直送しなければならない。因みに、藤枝順心高校で校印を押せるのは、校長のみであった(どの高校もそうかもしれないが)。その校長も、30日からは、高校総体の応援に出てしまう(すなわち、学校を留守にする)。そのため、翻訳を終えるのが30日以降となった場合、学校側の対応が不可能となる。ケンタッキー大学としても、NCAAからのこういった要求は前例がなく、困惑していた。彼女も然りだ。

 

「NCAAから無理難題を押し付けられた時は、正直困りました。しかし、学校関係の方々や友人にお願いをしていく中で、このままサッカーができなくなってしまうという感覚は特になく、これも過程の一つなんだと思うようにしました。」

 

 結局、翻訳の大半は業者に依頼した。金額は数十万にも及んだ。しかし、業者としても、全てを期日迄に仕上げることはできないとのことだった為、残りの数枚に関しては、アメリカにいる知人に依頼した。皆の協力もあり、見事期日までに全書類の送付を終えることができ、NCAAへの登録は完了された。

 

 これでやっと女子サッカー部と合流できるかに見えた。しかし、ここからまた一山超えることとなる。なんと今後は、大学側のミスにより、語学学校から大学への進学手続きが完了していないと言う。明確なミスの詳細は明かされていないが、どうやら一度、アメリカ国外に出国しなければならないとの事で、最悪の場合、アメリカに再入国できない可能性もあるらしい。

 

「やれることは全てやったので、あとは祈るだけでした。」

 

最後の山をなんとか乗り越え、念願の女子サッカー部入部を果たす。

苦労の末に得たシーズン開幕スタメン。背中に光るはエースの称号『背番号10』

 アメリカへの再入国を果たしたのは、シーズン開幕の3日前となる8月15日(火)だった。この一年間、語学力の向上を第一優先としながらも、コンディション調整にも余力を残さなかった。準備はできていた。この日のためにずっと努力してきたようなものである。周囲の支えがあったからこそ、今の自分がある。それは確と心得ていた。あとは皆に証明するだけだった。それが、開幕スタメン背番号10となった。

 

「開幕スタメンだからどうという感情は特にありませんでした。やるからには最初が肝心であり、ただでさえ練習開始が遅れていましたし、試合まで1週間しかなかったため、周りからの信頼を得ることから始めなければと思いました。もちろん、英語もまだまだでしたので、自分からコミュニケーションを取っていかなければならないと思っていました。ただ、本格的な公式戦(試合でさえ)が高校3年の選手権ぶりでしたので、試合感覚に少し不安がありました。チームは負けましたが、個人としては、思っていたより良いスタートを切れたので、良かったかなと思っています。」

 

その姿は見る者全てに勇気と希望、そして感動を与えた。

最後に

~米国大学サッカー留学を目指す生徒へ~

 日本人留学生が1年次からエースナンバーの10番を任せられることは凄まじい偉業である。これは、彼女が持つサッカーの実力のみならず、人格的魅力も含めて、チームから高い期待と信頼を得たことを表している。どんな理由であれ、道理に反するような人間は大成しない。またそういう人間から、良い人材は生まれない。どの環境や時代においても、教育が全てなのだ。この点は、永続的に揺るぐことがないと言える。

 

 アメリカサッカー留学を目指す方々へ問う。あなたのアメリカでの一番の目標はなんだろうか。その目標を達成するために、人一倍の努力ができるだろうか。何があっても投げ出さないほどの覚悟と強い芯を持っているだろうか。全てを犠牲にしてまで目標を追えるだろうか。どこまでも謙虚に驕ることなく周りの方々への感謝を忘れずに精進できるだろうか。楽な道ではなく、敢えて茨の道をゆくことができるだろうか。全てはあなた次第である。環境があなたを変えてくれるのではない。またそれは人でもない。勘違いしてはいけない。留学を、そしてあたなの人生を豊かにするも乏しくするも、全て、あなた次第なのである。留学を目指す上で、そこはくれぐれも肝に銘じていただきたい。