2018年7月、また一人の日本人女子サッカー生徒がアメリカの門をたたいた。山田ひかり(以下「ひかりさん」)。静岡県静岡市で生まれ育った彼女は、今年の3月に常葉大学附属橘高等部を卒業。米国大学への進学に必須となるTOEFLの壁を見事クリアし、高校卒業後わずか4ヶ月にして、全米体育協会1部(通称:NCAA D1)に所属するケンタッキー大学へのスポーツ進学を果たした。ケンタッキー大学では女子サッカー部に所属するひかりさんは現在、8月中旬から開幕するリーグ戦に向けてトレーニングに励んでいる。いまだ前例のない"スポーツ留学生による高卒でのD1大学現役合格"を実現させた彼女の、これまでの軌跡を振り返る。
米国大学女子サッカーセレクションキャンプへの参加
米大進学への道を切り開く
ひかりさんがアメリカへの道を切り開くきっかとなったのが、2017年3月に長野県にて実施された「米国大学女子サッカーセレクションキャンプ」だった。イベントのコンセプトとして"スポーツを通してのグローバル人材の発掘と海外進出支援"を掲げるこちらのセレクションは、日本人女子サッカー生徒のリクルートに興味を持つ米国大学女子サッカー部のコーチ陣が来日し、高校卒業後の米国大学サッカー進学を目指す日本の高校生達のプレーを直接視察するというものだった。このセレクションを通して見事大学コーチ陣より実力が認められた参加者には、大学経費が免除の対象となるスポーツ奨学金(返済不要)を受けての大学進学オファーが与えられる。オファーを受けた生徒は、大学入学時期までに学校が指定するTOEFLスコアを取得することで、奨学金を受けての大学進学を実現させることができる。未来ある日本の若者に留学の機会を与える、それが本セレクションの最大の狙いであった。


ひかりさんが参加したこの年のセレクションには、日本全国から60名の選手が集結。米国から来日した5名のコーチ陣(参加大学:ケンタッキー大学、オレゴン大学、アイダホ州立大学、ハワイ大学マノア校)の前で2日間に渡り、米国行きのチケットをかけてアピールに励んだ。その結果、ひかりさんは見事ケンタッキー大学より全額免除の奨学金(米国ではフルスカラシップと呼ばれる)オファーを獲得。
「ケンタッキー大学よりお話を受けたとき、迷うことなく進学を決心しました。こんなに素晴らしいチャンスは誰でも巡って来るものではないですし、日本だけにとどまらず海外に進出することで、サッカー面だけでなく人としても大きく成長できる決断だと思ったからです。私は、サッカーに励む多くの高校生が、サッカー選手になる・なでしこジャパンに選ばれるという通過点の夢ばかりを考えている気がします。私も同じでした。しかし、サッカー引退後を考えたとき、毎日のようにサッカーばかりをやって来た自分には、サッカー以外に何も残るものがないと考えました。そういう意味でもアメリカ留学は、新しい何かを見つける絶好の機会だと思いました。もちろん、この話を周りの方にお話ししたとき、全ての方が賛成したわけではありません。しかし、家族の支えもあり、留学への思いは強くなるばかりでした。今では多くの方に応援していただき、改めてこの選択で良かったなと思います。」(山田ひかり、ケンタッキー大学女子サッカー部)
セレクションへの参加については、一切両親に相談しなかったというひかりさん。自らの手で掴んだ千載一遇のチャンス。人生のターニングポイントは早くも訪れた。


苦しんだTOEFLの壁
ケンタッキー大学への進学に向けた準備はすぐに始まった。一番の難関となったのがTOEFLだった。TOEFLとは、英語でのコミュニケーション能力を測ることを目的として作られたテストであり、米国大学への進学を目指す留学生が対象とされている。米国大学への進学には、必ずと言っていいほどこのTOEFLが要求される。ひかりさんの場合、ケンタッキー大学への入学にはTOEFL 71(iBT)を取得する必要があった。TOEFL 71といえば、日本で馴染みの深いTOEICに換算すると約800点(就活生が履歴書に書ける点数は750点以上と言われている)に及び、英検だと準1級(大学中級程度と言われている)に値する。それに加え、TOEFLは大学進学のためのテストとなり各教科の専門用語が多用されているため、ネイティブスピーカーでも知識にない難解な単語が次々と並ぶ。日本の高校で全国レベルの部活に在籍していた生徒で、高校卒業後の大学進学時までにこのTOEFL 71を取得できる生徒は、大変希少である。というのも、TOEFLでは、日本の高校の英語の授業でカバーされない部分が多く出題される。裏を返せば、英語の授業とは別で個人的にTOEFLに特化した勉強をしない限り、高得点を取得することはまず不可能となる。ひかりさんの場合、高校時代は女子サッカー部の中心選手として背番号10を背負い、1年次から全国の舞台を経験していた。またアカデミックの面においても、学校の成績では常にほぼオール5を維持しており、高校時代は朝から晩までスポーツと学業に励む多忙な日々を送っていた。そこにエキストラで加わったTOEFLの勉強。
「高校時代は、通学前や部活後にTOEFLの勉強を行なっていましたが、当時は常に疲労がたまっていたこともあり、気づいたら寝落ちしていることばかりで、あまり実りのある勉強ができなかったのが本音です。簡単な壁じゃないことはわかっていたものの、学校の勉強・部活との両立は本当に難しかったです。また、TOEFLは日本ではあまり知られていませんし、教えることのできる先生もとても少ないです。そんなTOEFLをどこから手をつけていいのか、何をやったらいいのかを考えている間に、どんどん日が過ぎてしまいました。」(山田ひかり、ケンタッキー大学女子サッカー部)
楽しかった高校生活は忙殺の日々へと変貌した。
高校サッカーからの引退
努力の末に得た幸運
そんなひかりさんがTOEFLの勉強に本気で打ち込むようになったのは、高校3年の最後の大会を終えたあとだった。3年間の集大成となる冬の選手権では、全国大会への出場がかかる東海大会を前に靭帯損傷の大怪我を負い、チームからの離脱を余儀なくされた。全国に繋がる大事な大会で主力選手を欠くという窮地に追い込まれた常葉学園大学附属橘高校(以下「橘高校」)であったが、なんとチームはそんな逆境を覆し東海大会を制覇。決勝では、全国屈指の強豪校と称される藤枝順心高校(静岡県)に2-1で競り勝った。その勢いのまま臨んだ12月の全国大会(第26回全日本高等学校女子サッカー選手権大会)。怪我で公式戦から遠のいていたひかりさんは、これが高校生活最後の大会ということもあり、痛み止めを飲んでの強行出場という道を選択。一回戦の相手は関東第5代表の日本航空高校。橘高校はチーム一丸となり勝利を目指して80分間走り抜いたが、健闘むなしく1-2で惜敗を期した。
「全国大会は中高6年間の最後の大会でしたし、大会期間中はTOEFLのことは一切頭になく、サッカーだけを考えていた気がします。しかし、大会が終わると同時に、今何をやらなきゃいけないがはっきり見えてきて、すぐに勉強に切り替えることができました。まずは過去問題をとにかく解いて、問題に慣れることから始めました。夏にサッカーを引退して、センター試験を受験した同級生や一年間勉強に励んだ友達を考えると、自然と自分も頑張れました。」(山田ひかり、ケンタッキー大学女子サッカー部)


高校サッカー部からの引退を機に、本格的にTOEFLの勉強に打ち込んだ。食事以外は一日中机に向かう生活が続いた。フィリピンへの語学留学にも参加した。東京にある親戚の家に下宿し、都内のTOEFL対策講座にも通った。TOEFLは何度も受験し、本番の感覚を徹底的に肌に染み込ませた。全ては8月からのケンタッキー大学進学を実現させるため。だが、なかなか肝心の結果が出ない。
「TOEFLは様々な方法を試しましたが、なかなか点数が伸びず、スコアは停滞していました。実際、かなり追い込まれてよく泣いていました。自分の部屋の壁に目標スコアを書いた紙をはったり、ケンタッキー大学の動画や写真を見たりして、モチベーションを高めていました。サッカーを忘れ、携帯を触ることなく、勉強だけに集中していました。今まで簡単な道を選んで来たんだなって、乗り越えなきゃいけない試練だなって思い、頑張りました。不安定な状況の時でも、両親は常に支えてくれました。本当に大切な存在です。」(山田ひかり、ケンタッキー大学女子サッカー部)
何度受けても目標のスコアに達しない日々が続き精神的にも追い込まれていたある日、彼女のもとにケンタッキー大学から一通のEメールが届いた。なんとそれは、紛れもない合格通知書だった。
「ある日の寝る前でした。その日の勉強を終えて、12時過ぎにベットに入り、大学からのメールを確認しました。すると、合格通知が届いていました。私は間違いだと思って、何十回も読み直したのを覚えています。嬉しいというか、信じられない気持ちでいっぱいでした。安心したのと、大学生活が楽しみな気持ちと、英語に対する不安と、いろいろな感情が入り交じっていました。でも一番は、ここまで支えてくれた多くの方々や友達、そして何よりも家族への感謝の気持ちでした。」(山田ひかり、ケンタッキー大学女子サッカー部)
最終的に、ひかりさんのTOEFLベストスコアは61であったが、彼女の高校の成績が高かったことも追い風となり、TOEFLにおいては、これまで受けたテストの各セクション(リーディング、リスニング、スピーキング、ライティング)の最高点を組み合わせたものが71点に到達していれば合格という"エクセプション"が認められた。これにより彼女は、かねてより念願だったD1大学への現役合格を見事実現させたのであった。
さらなる高みを目指して
どんな人間にも必ずチャンスは訪れる。だがそこに気付き、掴み、そしてものにする事ができる人間は極稀だ。先人の書籍や言葉には人生のヒントや答えが集約されており、それさえ忠実に守って生きていれば道を踏み外すことはそう無い。だがそれが出来る人間もまた稀である。成長し続ける人間というのは共通して無色透明であり、まだ何色にも染まることなく、自分の旧い概念や固定観念を払拭できる。こういう人間は着実と成長を遂げ、チャンスを嗅ぎ分ける感性においても他を圧倒する。清らかな心で真っ当な道を歩んでいれば、思いがけないところから幸運が舞い降りてくる。人生とはそういう教訓のもと成り立っている。今回のひかりさんが歩んできた道は、まさにこれらの教訓が正しいことを証明している。どんな苦境に立たされてもブレることなく、目標に向かって努力を怠らなかった。その結果が現役でのD1大学合格に繋がった。だが本当に辛いのはここからだ。勉学とスポーツの両立は高校時代より厳しさを増し、文化の異なる環境での生活は想像以上に精神的苦痛となり彼女を追い詰める。それらを全て乗り越え人として何倍も成長するも、もしくは、周囲に責任を押し付け心が腐敗していくも、全ては彼女次第である。だがこれだけは言おう。今の彼女に不可能はない。それが今の彼女の自信にも繋がっている。
「当面の目標はレギュラー定着です。欲を言えばチームの勝利に貢献できるような活躍ができればとも思ってます。アカデミックの面においても、まずは大学の授業についていけるよう勉学に励みます。」(山田ひかり、ケンタッキー大学女子サッカー部)
その自信と純朴さを常に心に留めて、このままどこまでも突き進んで行ってほしいと切に願う。ひかりさんの今後の活躍に注目だ。

