代表挨拶

スポーツの可能性

 

 我々はアメリカカリフォルニア州サンディエゴに本社を構え、カリフォルニア州立マーセッドカレッジ語学学校運営、サンディエゴでの英語学校運営、総合スポーツ事業を展開して10年目を迎えるに至りました。

我々のスポーツ事業部では、主に、自社事業展開するクラブやチームの運営、日米のスポーツ機関の折衝、そして日本人の海外挑戦の橋渡しを行うべく活動を行っています。

 みなさんがご存知の様に、スポーツには様々な方面における可能性と、人々を奮い立たせる感動性を含んでいます。

 太平洋戦争が終焉し、敗戦国となった日本は、全てを失った焦土のなかから奇跡的な復興を遂げ、高度経済成長を経験し、一時はアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国へとのぼりつめました。

戦後復興には、製造業や輸出業など経済の躍進がありましたが、日本国民に豊かな暮らしと夢を与えたのが、スポーツでした。

スポーツは復興を遂げる日本人の夢と爽気、感動を担ったといっても過言ではないでしょう。

 

 1964年開催の東京オリンピック、プロ野球、力道山、大相撲など多種の競技のなかから、枚挙にいとまない程のヒーローが生まれ、国民に夢と感動、勇気を与え、国力を育くむ一翼を担ってきました。

戦後、見事に経済大国として立ち直り、今ではグローバリズム世界の流れの中で、多くの多種多様に渡るアスリート達が海を越え、世界のあらゆる地域で活躍出来る時代になりました。

 

その反面、日本国内でプロアスリート達が現役終了後に直面する「セカンドキャリア」という問題が浮き彫りにもなってきた事からも、目を逸らす事は出来ません。

また「セカンドキャリア問題」のみならず、世間を魅了する程活躍した選手が、犯罪に手を染めるなど、現役時代に放った光を暗く落としてしまった姿は、夢を与えるどころか、メディア露出の影響力が大きかっただけに、その失望も多大なものとなります。

薄れゆく文武両道の教育理念

 

かつて日本の歴史においては、文武両道である事を念頭に置いた教育があったはずです。

現代でも文武両道はよく耳にしますが、

スポーツ界では、いつの間にかその教育理念も薄れゆき、ただ競技技能に優れていればいい、という考え方が国内を覆いつくしてしまっています。

勝つために朝から晩まで、ひたすらその競技の練習に明け暮れれば良いというスポーツ文化が、結果、長い目で人生と言う視点から眺め見た時に、吸収力旺盛な若い時期に偏った育ち方をさせて、大人になって気づいた時には「セカンドキャリア」と向き合わないといけない羽目になってしまいます。

 

勝利至上主義が、若者にとってもっとも大切である「教養」「教育」、そして「心の成長」を奪い取るスポーツ文化を形成してしまっているように見受けられるのは私だけでしょうか?

大人の責任は?

 

プロ選手になれば大金を稼ぎ、有名になれば世間からもてはやされる。

子供のうちから大きな勘違いをさせるのは、大人の罪のような気もします。

例えば、自分の子供がプロ選手になり、脚光を浴び、高額のお金を稼ぐ事に過剰な期待を寄せたりする事、

これは親としてのエゴはないでしょうか。

晴れて、夢であったプロ選手になったとして、どのくらいの期間活躍し、稼ぎ、脚光を浴び続ける事ができるか考えているのでしょうか?

プロ選手である以上、必ず引退が訪れます。

引退後に自分の関わった競技の仕事などに就ければまだいいでしょうが、現実的に何人の選手がそういった職を得る事ができるでしょうか?

プロ生活終了後、残された人生の多くの’時間を一社会人として暮らして行く為にも、若者たちには道徳、倫理感を含めて

 教養が大切になるはずです。

機会があるごとにPTA、保護者、そして教職員の方々に向けて講演活動も行う。

 

 アスリートである前に一人の人間として

 

 スポーツ大国として、競技から運営システム、そしてスポーツビジネスまで、全てにおいて最先端をひた走る米国はどうでしょう。

幼少期には様々なスポーツ種目をシーズン毎に経験させて、バランス良く身体と心の成長を促し、徐々に専門とするスポーツ種目を選択します。

高校に入学し、各部活でも公式戦は短い期間に定めて、所属するクラブ員も絞っていきます。

高校、大学と同じ様なシステムを持ち、チームに所属する為には入部の為のセレクションの競争から勝ち残らなければなりません。日本の部活の様に、部員を多く抱える事はしませんので、セレクションから漏れた選手は部活には参加出来なくなり、練習にも参加する事は出来ません。

すでに、壮絶な競争社会が始まっています。

  また、チームに所属出来たからといって、競技だけやらせておく事をしないのも米国教育の重要な特色です。

学業で最低限の成績を収めないと、部活に所属する事も出来ないのです。

これは、優秀なプロ候補の選手であっても例外はありません。

例えばメジャーリーグのドラフト1位で指名される様な選手は、名門大学から高額の奨学金を得て部活に励んでいますが、彼らとて例外ではなく、学業における最低限の成績の確保を義務づけられています。

この学業が疎かになり、一定の成績を保つ事が出来なくなれば、部活参加は許されず、そして支給されていた奨学金も、打ち切られる世界なのです。

要するに、プロを有望視される選手でも例外なく、学生時には最低限の学業が必須とされています。

ですから、プロ生命が終焉を迎え、一社会人となり、社会生活を送る様になった時でも、

学生時に学んだ基礎教養や専門科目の知識が生きてくる訳です。

 勿論、すべてアメリカ式が良いとも思いませんし、日本式が間違っている訳でもありません。

その生徒や保護者の持つ価値観や人生観によって教育方針は多様にあってよいと思います。

 このメッセージの背景には実社会にでて苦しんだ、私自身の経緯が大きく影響しています。

マーセッド大学山内塾では意識高き若者達への講義を開催。世界に羽ばたく人材育成に力を注ぐ。

自身が学んだ教訓をメッセージとして

 

 武道に費やした時間と、アスリートの「端くれ」としてトレーニングに明け暮れた日々は、確かに自分自身に大きな自信を与えてくれました。

しかし、競技生活を引退し、歳を重ね、

違った視点から人生を考えた時に、自分の世間の狭さを痛感させられました。

社会的信頼を得る為には、スポーツで得た過去の栄光や実績だけでは不十分だったのです。

その身を持って学んだ教訓をメッセージとして、若いアスリート達やその保護者へ伝えていく事を使命と認識し、この仕事に携わっています。

 未来の日本を担う、あるいは世界で躍動する若者の育成プロジェクトとして、将来を見据え、とりくんでいます。

現役引退後、立ちはだかった人生の壁の大きさを痛感。

最後に

 

 米国に拠点を置き25年以上経ちました。

我々は日系企業だからこそ、米国において事業展開を行う意味と意義を担っていると真摯に受け止めています。

文武両道、という日本古来の言葉を体現する若者を世界に送り出す、それが弊社、当校に求められる役割だと。

この理念に理解、賛同してくれる志を持った若者達と出会える事を楽しみにしています。

 

また、未来を担う若者達が、アスリートとしてのみならず、

一人の人間として自身の足で大地を踏みしめて歩いて行ける「人創り」を進める我々のプロジェクトに対し、一人でも多くの保護者の方々にご理解頂ければ幸いです。

 

SDSA代表

 山内周司